登山は心身を満たす最高の体験ですが、自然相手のアクティビティである以上、転倒・捻挫・切創・低体温・熱中症・道迷い・動物遭遇・装備故障などのリスクは常に隣り合わせです。
大切なのは「ゼロリスク」を目指すことではなく、起きやすい事態を想定し、予防し、起きたときに素早く正しく対処すること。本記事は、初心者からベテランまでそのまま現場で使えるよう、Q&A形式に手順・チェックリスト・早見表・テンプレ文を盛り込んだ実践ガイドです。
応急処置と現場判断の“黄金ルール”
1) 安全最優先(Scene Safety)
- 落石・雷・崩落・増水・強風・通行の妨げを確認。危険の二次被害を断つ位置へ移動。
2) STOP原則(Stop / Think / Observe / Plan)
- 止まる→考える→観察→計画。焦りは判断ミスの最大要因。まず深呼吸。
3) ABCDE一次評価(簡易)
- A 気道、B 呼吸、C 循環(出血)、D 意識、E 低体温・全身観察。重大サインを優先して対処。
4) 撤退基準の先取り
- 「痛み増悪/歩行困難/視界不良/雷・強風/予定遅延>60分」のいずれかで短縮・撤退に切替。
迷ったら安全側。**“行ける”ではなく“安全に帰れる”**かで判断。
転倒・捻挫・切り傷など“外傷”Q&A(手順つき)
Q. 足首をひねった(捻挫)/転倒した直後は?
A. RICE+固定+撤退判断
- 安静:座る・荷を下ろす。
- 冷却:保冷剤/沢水で15–20分冷やす(凍傷に注意)。
- 圧迫:伸縮包帯で8の字。痛み・しびれ・爪色で締め過ぎ確認。
- 挙上:心臓より高く。
- 固定:トレッキングポールや枝+包帯で簡易スプリント。
- 撤退:歩行痛が増す/支持なしで3歩不可/腫脹急増は下山・受診。
Q. 出血を伴う切創・裂創の応急手当は?
A. 直圧止血→洗浄→被覆
- 止血:清潔なガーゼで数分間しっかり圧迫。噴出する出血は圧迫を継続。
- 洗浄:流水(飲料水)で砂・泥を除去。深部異物は無理に抜かない。
- 被覆:滅菌ガーゼ+テープ。関節は屈曲位で固定。動脈性出血や止まらない出血は救助要請。
Q. 打撲・骨折が疑わしいときは?
- 変形・異常可動・激痛→骨折疑い。無理な徒手整復はしない。
- 固定:患部を挟んで上下の関節まで固定(板・ポール・マット)。
- 搬送:歩行困難なら動かさないが原則。体温保持を最優先し、救助要請を検討。
Q. 靴擦れ・マメの最速対処は?
- 違和感の瞬間に止まって対応。ホットスポットへテープ。
- マメ形成後はドーナツパッドで圧分散。破る場合は清潔針で一点穿刺→排液→被覆。感染兆候(発赤・熱感・膿)は受診。
Q. 目に砂や虫が入った/鼻血が止まらない
- 目:強くこすらず、清潔な水で洗眼。角膜痛・視力低下は受診。
- 鼻血:座位で前屈み、小鼻を10分連続圧迫。仰向け禁止。
体調不良・高山病・熱関連障害・低体温Q&A
Q. 高山病の初期サインと現場対応は?
- 症状:頭痛・吐き気・めまい・倦怠。
- 対応:上昇を止める/休息/保温/水分(電解質)。改善なければ高度を下げる。鎮痛薬は補助、無理な行動は×。
- 予防:ゆっくり登る・睡眠・前夜の飲酒回避・重装低速。2,500m超は特に慎重に。
Q. 熱中症・脱水の見分けと対処は?
- サイン:頭痛・悪心・足攣り・会話ぎこちない・尿濃色。
- 初動:日陰へ→衣服緩め→頸部/腋/鼠径を冷却→電解質+水を少量頻回。
- 撤退:意識障害/嘔吐持続/歩行困難は即下山・救助要請。
- 低Na血症を疑う(頭痛・むくみ・混乱・水だけ大量摂取歴)なら飲水を控え電解質を優先。
Q. 低体温の兆候と手順は?
- 兆候:震え→動き鈍い→意識低下。濡れ・風・疲労で悪化。
- 手順:濡衣脱→乾いた保温着+レイン→地面断熱→温糖飲料→動かさず保温。重症は急な体温再上昇を狙わず救助要請。
Q. 胃腸トラブル・急な下痢は?
- 原因:冷え・不衛生な水・食当たり・疲労。
- 対処:保温・経口補水液・脂っこい食事中止。発熱・血便・意識低下は受診。
道迷い・遭難・気象急変・動物遭遇Q&A
Q. 迷ったかも…最初にすべきことは?
A. STOP+位置の“言語化”
- Stop:動かない。
- Think/Observe:往来の足跡・テープ・踏み跡・尾根/沢を確認。
- Plan:地図アプリ+紙地図+コンパスで現在地を言葉で説明できるまで特定(例:○○尾根の××分岐から30分、標高1,650m、北面のトラバース道)。
Q. 視界<50mのガス・濃霧になったら?
- 速度を落とし、要所ごとに停止→方位と距離を口で確認。尾根・主歩道を優先。
- レイン上着で汗冷え回避、体温保持。分岐で確信が持てないなら引き返す。
Q. 雷・強風の稜線でどう動く?
- 黒雲・遠雷・冷たい突風・雹=雷の前兆。稜線・独立峰・高木下は避け、低い鞍部へ。
- ストック・ポールは束ねて地面へ。足を閉じてしゃがむ。通過まで待機。
- 風速8–12m/sで体感激変。コース短縮・撤退をためらわない。
Q. クマ・イノシシ・サル・シカに遭遇したら?
- 原則:近づかない・走らない・餌を見せない。ゆっくり後退し距離を取る。
- 予防:会話・鈴・ラジオで存在を知らせる/匂いの強い食材・ゴミを出さない。
- 子連れ/給餌場は特に危険。挑発行為(撮影の接近等)は厳禁。
Q. ビバーク(緊急野営)が必要になったら?
- 場所:落石・増水・倒木の恐れが少ない広めの場所を選ぶ。
- 装備:エマージェンシーシート/ツェルト/マットで地面断熱。
- 行動:濡れ物は脱ぎ、保温着+レインで風を遮断。飲水・糖分を少量ずつ。
装備・持ち物の“困った”Q&A(現場の応急ワザ)
Q. 雨具が破れた/ファスナーが壊れた
- ダクトテープ/補修テープで裏から貼る。雨脚が強いときはレイン上にポンチョ重ね。
Q. ザックのショルダーが切れた/バックル破損
- タイラップ・ロープ・カラビナで応急連結。荷重をヒップベルト中心に再配分。
Q. ストックが曲がった/ロック不良
- 曲がりは無理に戻さず短く固定。片ストック+歩幅小さめで下山。
Q. スマホ・GPSが不調/電池切れ
- 機内モード+GPS ONでログ再開。寒冷時は内ポケットで保温。オフライン地図の二重化・紙地図の併用を標準に。
ファーストエイドキット&“軽量なのに効く”追加装備
カテゴリ | 最低限 | あると強い |
---|---|---|
止血・創傷 | 滅菌ガーゼ、テープ、絆創膏、三角巾 | 止血パッド、はさみ、ピンセット、滅菌水パック |
捻挫・固定 | 伸縮包帯、テーピング | 軽量スプリント、弾性ネット、サポーター |
体温管理 | エマージェンシーシート | 超軽量ツェルト、薄インサレーション |
照明・通信 | ヘッデン+予備電池 | 予備ライト、ホイッスル、モバイルバッテリー |
水・栄養 | 電解質タブ、ジェル/行動食 | 折りたたみボトル、浄水タブレット |
重量対効果が高いのは「エマージェンシーシート/伸縮包帯/止血パッド/ホイッスル」。常にザック上段へ。
緊急連絡・救助要請のテンプレ(そのまま使える)
SMS/通話で伝える要点
- 場所:山域・コース名・標高・地形(尾根/沢/コル/分岐)・近くの目印
- 症状:意識・呼吸・出血・歩行可否
- 人数:要救助者・同行者・年齢層
- 対処:実施した応急処置(止血・保温・補給)
- 目印:派手色のレイン、ライト点滅、ホイッスル三回×繰り返し
例文(メモアプリに保存推奨)
「○○山△△コース、標高約1,720mの尾根上、××分岐から東へ20分。同行2名。1名が転倒し右足首強い痛み、歩行困難。止血不要、包帯固定・保温実施。赤いレインを掲示、ヘッドライト点滅中。現在安全な場所で待機、連絡はこの番号へ。」
SOS信号:ホイッスルやライトで短短短—長長長—短短短(国際信号)。音・光は3回を1セットが遭難信号の基本。
役割分担と搬送の基本(複数人行動時)
- 指揮(状況把握・撤退判断)
- 応急手当(止血・固定・保温)
- 連絡(位置特定・通報・山小屋連絡)
- 環境整備(落石防止・風よけ設営・断熱)
無理な担ぎ下ろしは禁物。体温保持・水分・糖分を切らさないことが命を守る最優先。
予防が最大の対策:出発前チェックリスト(印刷推奨)
項目 | チェック |
---|---|
計画書・登山届を提出し共有した | □ |
天気・風・雷予報/コース状況を確認した | □ |
早出早着の行程で“短縮案・撤退基準”を決めた | □ |
紙地図+アプリ地図(オフラインDL)を準備した | □ |
レイン上下・保温着・ヘッデン・予備電池を入れた | □ |
ファーストエイド(止血・固定・保温)を入れた | □ |
水1.5〜2L+電解質/行動食を用意した | □ |
予備電源・ホイッスル・携帯トイレを入れた | □ |
靴・靴下・ザックのフィットを最終確認した | □ |
よくある登山トラブル“超”早見表(拡張版)
トラブル | 兆候/原因 | 初動 | 撤退基準 | NG行動 |
---|---|---|---|---|
捻挫・転倒 | 不整地・疲労・滑り | RICE→固定 | 3歩不可/痛み増悪/腫脹急増 | 我慢の続行・無理な矯正 |
切創・出血 | 岩・枝での裂傷 | 直圧止血→洗浄→被覆 | 止血不可/噴出血/深部露出 | 何度もガーゼを剥がす |
熱中症 | 高温・脱水・風弱 | 陰→冷却→電解質 | 意識障害/嘔吐持続/歩行困難 | 水だけ大量に飲む |
低体温 | 濡れ・風・休憩長い | 乾かす→保温→断熱 | 震え停止/意識低下 | 濡れ着のまま歩かせる |
高山病 | 急登・睡眠不足 | 休憩・保温・補給 | 改善なし/悪化 | 上昇継続・無理な行動 |
道迷い | 分岐ミス/ガス | STOP→位置言語化 | 確信なき前進 | 走って探す・沢へ下る |
雷・強風 | 黒雲・突風・雹 | 稜線回避→鞍部 | 風8–12m/s超 | 高木下停滞・金属掲示 |
動物遭遇 | 子連れ・餌場 | 後退・距離確保 | 追ってくる | 接近撮影・給餌 |
装備故障 | 長期使用・荒天 | 応急補修・再配分 | 重要装備不能 | そのまま核心突破 |
まとめ:備え・判断・行動が“安全に帰る力”になる
ケガやトラブルを完全にゼロにすることは不可能。だからこそ、予防(計画・装備)→早期発見(兆候)→即応(初動)→撤退の流れを体に染み込ませておきましょう。現場では、安全確保→STOP→ABCDE→保温・補給→連絡の順で落ち着いて対処すること。帰宅できてこそ登山は成功です。今日の山行から、チェックリストとテンプレ文をスマホに入れて出発してください——“安全に帰る”力は準備で育つのです。