年収1000万円(おおむね S$100,000 前後)をシンガポールで得たとき、実際の手取りはいくら残るのか。結論から言えば、所得税率は累進でも実効負担は低めで、しかも住民税や強制的な社会保険料の給与天引きがないため、日本より可処分所得が増えやすいのが一般的です。
本稿では、個人所得税の仕組み、居住者・非居住者の違い、控除の考え方、確定申告(e-Filing)の流れ、生活費の実情と設計術、そして年収1000万を起点にした複数パターンのシミュレーションまで、実務目線で徹底解説します。数値は概算であり、年ごとの税率改定、為替、個別の給与内訳により変動します。最終判断は各自で最新情報と専門家の確認を前提にしてください。
まずは3分で全体像|“軽い”と感じる理由
❶ 累進課税でも実効率は抑えめ
シンガポールの個人所得税は累進課税です。課税対象は**課税所得(Chargeable Income)**で、給与収入から各種控除を差し引いた後に段階税率を適用します。高所得ほど税率は上がりますが、税率の刻みと控除設計が穏やかで、実効税率は日本より低く出ることが多いのが特徴です。
❷ 居住者・非居住者の違いが決定的
暦年で183日以上滞在すれば多くの場合税務上の居住者。居住者は累進税率の適用・各控除の利用ができ、税負担は低くなりやすい。一方、非居住者は雇用所得が一律15%(または居住者計算の高い方)となり、初年度・短期赴任は税額が跳ねやすい点に注意が必要です。
❸ 住民税なし・社会保険の給与天引きほぼなし
日本の住民税は存在しません。また、CPF(中央積立基金)は市民・永住者に適用される制度で、外国人就労者には原則適用なし。そのため給与からの強制天引きがほぼ発生せず、総支給に対する控除が薄い=手取りが増えやすい構造です。
❹ 消費税(GST)は生活設計に反映
日常の買い物にはGST(消費税)がかかります(近年引上げがあり一桁台後半)。家賃や学校など非課税・対象外の項目もあるため、生活費の内訳次第で体感は変わる点を押さえておきましょう。
結論の先取り|年収1000万の“手取り”はこのくらい
居住者(183日以上)の標準ケース
総支給 S$100,000 を想定し、控除が少ないシンプルな前提の場合、**所得税は S$4,500〜S$5,650(実効4〜6%程度)**が一つの目安です。社会保険の給与天引きがない前提では、手取りは S$94,000〜S$96,500 程度に収まるケースが多く見られます。
非居住者(183日未満)の標準ケース
雇用所得は一律15%(または居住者計算の高い方)。S$100,000 ならS$15,000課税となり得るため、手取りは S$85,000 前後まで低下。初年度の着任時期で手取りが変わるため、赴任日程の設計は重要です。
日本との体感差
日本では所得税+住民税+社会保険料の合計負担が重く、同じ年収でもシンガポールの方が可処分所得は増えやすい傾向。実務の肌感として**「日本で年収1500万円相当の手取り感覚」**と表現される場面もあります(個人差あり)。
制度比較の早見表(概念整理)
項目 | シンガポール | 日本 |
---|---|---|
個人所得税 | 累進(段階税率・実効低め) | 累進(段階税率) |
住民税 | なし | あり(一律+均等割) |
社会保険の給与天引き | 原則なし(CPFは市民・永住者) | あり(厚年・健保・雇用 等) |
非居住者の雇用所得 | 15%(又は居住者計算の高い方) | 源泉20%台相当(復興特含) |
寄付・扶養等の控除 | あり(要件あり) | あり |
居住者判定 | 183日目安 | 住所・居所の実態 |
※あくまで制度の“型”を並べた概念表です。詳細要件は個別に異なります。
具体シミュレーション(S0,000基準・概算)
前提:給与 S$100,000(賞与含む)、為替は1S$=110円で日本円換算(為替で**±10%程度**は平気で変動)。
ケース | 前提(控除のイメージ) | 課税所得(S$) | 所得税(S$) | 年間手取り(S$) | 月間手取り(S$) | 年間手取り(円)※参考 |
---|---|---|---|---|---|---|
A:控除ほぼなし | 単身・控除極少 | 100,000 | 5,650 | 94,350 | 7,862 | 約10,378,500 |
B:軽い控除あり | 寄付・医療費等が少額 | 90,000 | 4,500 | 95,500 | 7,958 | 約10,505,000 |
C:控除やや厚め | 扶養・寄付等が一定 | 80,000 | 3,350 | 96,650 | 8,054 | 約10,631,500 |
D:非居住者 | 183日未満(15%) | 100,000相当 | 15,000 | 85,000 | 7,083 | 約9,350,000 |
※控除の可否・金額、住宅手当の課税、株式報酬、年末精算、有給買取、為替などで結果は大きく動くため、あくまで目安です。
計算の骨子(簡略)
- 課税所得=給与等 − 各種控除(該当分)
- 税額=課税所得へ段階税率を適用(累進計算)
- 社会保険:多くの外国人就労者は給与天引きほぼ無し
- 手取り=総支給 − 税額(− 該当する天引き)
もう一歩踏み込む|給与内訳で変わる税額の勘所
住宅手当・社宅の扱い
住宅に関する給付は課税対象になり得ます。名目や契約形態によって評価額の算定方法が異なるため、内訳と契約書を確認しましょう。社宅・家具付など現物給付の取り扱いは人事・税務で事前にすり合わせるのが安全です。
海外勤務手当・駐在手当
勤務地・職務・リスクに応じた手当は一般に課税所得へ算入されます。月例・賞与・臨時のどれに該当するかで年内の税額推移が変わるため、年末の支給時期も設計ポイントです。
株式報酬(RSU/ESPP等)
付与・権利確定・売却のどの時点で課税対象になるかは制度設計と税法解釈に依存します。国をまたぐ勤務歴がある場合、滞在日数按分が生じ得るため、人事・税務・証券会社と早めに情報共有を。
出張・日当・福利厚生
実費精算の範囲は非課税である一方、定額での手当は課税対象になりやすい傾向。領収書・明細の保存と社内ポリシーの整備が重要です。
生活費の“設計図”|単身・夫婦・子連れの月次目安
住まいは最大の変動要因
- コンドミニアム:1ベッド S$3,000〜4,500/2〜3ベッド S$5,000〜8,000
- HDB(公営住宅)・郊外:S$1,200〜2,200 程度から選択可
- 初期費用:敷金1〜2か月分、仲介料、家具・家電の有無、契約年数の更新条件などを要確認
月次モデル(概算)
項目 \ 世帯像 | 単身(節度型) | 夫婦二人 | 子1〜2(就学) |
---|---|---|---|
家賃 | 1,200〜2,200 | 3,000〜4,500 | 5,000〜8,000 |
食費・外食 | 600〜900 | 1,000〜1,400 | 1,200〜1,800 |
交通 | 80〜120 | 150〜200 | 200〜300 |
光熱・通信 | 150〜220 | 250〜350 | 350〜500 |
医療・保険 | 50〜100 | 100〜200 | 200〜400 |
教育費(私学/インター) | — | — | 2,000〜4,000/人 |
交際・雑費 | 400〜700 | 800〜1,200 | 1,000〜1,500 |
合計(S$) | 2,480〜4,240 | 5,300〜7,850 | 9,950〜16,000+ |
食費はホーカー(屋台村)活用で抑制可。交通はMRT/バス中心だと安価。逆に都心コンド+外食中心+国際校の組合せは一気に膨らみます。
可処分所得とのバランス感覚
- 単身:S$100,000 の手取りで年 S$20,000 以上の貯蓄・投資が現実的
- 夫婦:住居と外食設計次第で年 S$10,000〜30,000の余力
- 子連れ:教育費が最大要因。公的選択肢や奨学制度の活用で負担調整
申告・納税の実務|e-Filingから年度カレンダーまで
年度の呼び方に注意
シンガポールは課税年(Year of Assessment:YA)という考え方を用います。YA 2025は2024年の所得に対する課税という具合に、前年分を翌年に申告します。
申告の基本フロー(雇用者の典型)
- 雇用主の給与報告(AIS):雇用主が税務当局へ給与情報を送信
- 本人のe-Filing:IRASのポータルで控除等を確認・申告
- 税額通知(NOA):確定税額が通知され、分割払いも選択可
- 納付:口座引落(GIRO)等で納税
会社のAIS対応が進んでいると、申告画面に給与が自動反映され便利です。寄付・扶養等の控除は本人入力が必要な場合があります。
必要になりやすい書類
- パスポート/在留カード類、雇用契約書、給与明細
- 住宅・教育・医療など控除関連の領収書・証憑
- 株式報酬の付与・確定・売却の資料
よくある落とし穴
- 183日未満で**非居住者課税(15%)**になる初年度
- 住宅現物給付の課税取扱いの見落とし
- 株式報酬の課税タイミングの誤認(国跨ぎの按分)
- 日本側の住民税・年金・健康保険の整理不足(転出手続きの失念)
節税・防衛のヒント(合法の範囲で)
控除の基礎を丁寧に
扶養・配偶者・教育・寄付など、該当する控除を漏れなく確認。寄付は認定先に限られ、優遇係数が設定されることがあります(年度で変動)。
二重課税の回避
日本との租税条約や、給与の発生源と勤務実態の整理が重要。国外源泉の所得が非課税となる場面もある一方、日本側の課税関係が残ることも。税務アドバイザーへの早期相談が安全です。
生活費の固定費を最適化
節税だけでなく、家賃・教育・通信など固定費の最適化が可処分所得を押し上げます。立地・広さ・設備の優先順位を決め、契約年数・更新条件・退去費まで含めて交渉を。
生活者の視点|医療・教育・日常支出の実像
医療
私立中心で水準は高い一方、費用は日本より高額になりがち。海外医療保険や会社の医療給付のカバー範囲を必ず確認しましょう。一般診療は予約制が基本です。
教育
国際校・私学は高額。一方、条件を満たせば公的選択肢もあり、費用は抑えやすい。出願時期・学年枠・転入試験などスケジュール管理が肝心です。
日常支出
- 食:ホーカーで1食数百円相当〜、輸入食材は高め。
- 交通:MRT/バスは安価で清潔。タクシー配車も便利。
- 通信:SIM・光回線は選択肢多く、速度と価格のバランス良好。
3つの追加シナリオで深掘り
① 現地採用(単身・HDB個室)
- 年収 S$100,000、家賃 S$1,800、外食はホーカー中心
- 年間可処分は貯蓄・投資へ S$20,000〜30,000が狙える設計
② 駐在(夫婦・コンド2LDK、住居補助あり)
- 住居補助の課税有無に注意。実質手取りは高いが、外食・交際費が上振れしがち
- 年間余力はS$10,000〜25,000程度(生活設計で差)
③ 子連れ(インター在学)
- 教育費が年 S$24,000〜48,000/人級で最大の固定費
- 片働き・共働き、学年、校種で可処分が大きく変動
チェックリスト|準備〜着任後まで
渡航前
- 雇用契約(給与内訳・手当・株式報酬・医療)
- 就労ビザ要件(学歴・職務・給与基準)
- 住まいの相場・学区・通勤動線の確認
着任直後
- 銀行口座・携帯・住所登録
- 医療機関・保険の確認、かかりつけ探し
- 給与明細の内訳と課税の突合
確定申告期
- e-Filing ポータルのアカウント確認
- 控除書類・寄付・医療・教育の整理
- NOA到着後の納付方法(分割含む)決定
よくある質問(FAQ)
Q:日本の住民税はどうなりますか?
A:日本での住民票の取扱い・転出手続き次第です。転出しなければ課税が残る場合があります。渡航前に自治体で確認を。
Q:キャピタルゲインは課税されますか?
A:原則として資本利得は非課税ですが、取引の頻度・性質により事業所得認定の余地が指摘されることがあります。判断が分かれる論点は専門家へ。
Q:消費税(GST)の体感は?
A:税率は一桁台後半。家賃や学費など対象外も多く、生活構成で体感は変動します。輸入品中心の食材は割高です。
Q:申告は自分でできますか?
A:e-Filingは比較的わかりやすい設計です。とはいえ住宅給付・株式報酬・国跨ぎが絡む場合は、税務アドバイザーの併走が安心です。
まとめ|年収1000万なら“手取りは増える”。鍵はタイミングと設計
- 要点①:住民税なし+社会保険天引きほぼ無しで、実効税率は低め。手取りは増えやすい。
- 要点②:183日ルールにより、初年度は15%一律の非居住者課税になり得る。赴任・帰任のタイミング設計が効く。
- 要点③:住居・教育など固定費の最適化が可処分を左右。契約条件と優先順位の整理で、貯蓄・投資の余力を確保。
本稿は一般的説明と概算例です。税率・控除・為替・個別契約によって結果は変わります。重要な判断は最新情報の確認と専門家への相談を前提に進めてください。