登山は自然とふれあい、心身の健康や達成感を味わえる魅力的なアウトドアですが、夏場や気温の高い季節には熱中症や脱水症状のリスクが一気に高まります。特に標高差の大きいルートや長時間行動、風の抜けない樹林帯では、自覚のないまま症状が進行し、命に関わる重症化に至るケースも少なくありません。安全で快適な登山を楽しむためには、仕組みを理解し、出発前→行動中→下山後まで一貫した対策を取ることが不可欠です。
本記事では、山での熱中症・脱水のメカニズム、装備と補給の設計、気象・コース取りの工夫、現場での“即判断”フレーム、応急手当までを実践的に解説。チェックリスト・表・計算例・ケーススタディを盛り込み、初心者からベテランまで「そのまま使える」内容に仕上げました。
熱中症・脱水症状の基礎知識とリスクを知ろう
発症のメカニズムと主な原因
- 熱中症:産生された体内の熱を放散できず、深部体温が上がりすぎる状態。高温・多湿・無風・直射日光・厚着・過度の運動が重なると危険。
- 脱水:汗・呼吸・尿などで失われる水と電解質(特にナトリウム)の補給が追いつかない状態。水だけの過剰摂取は低ナトリウム血症(水中毒)を招くことも。
山でリスクが高まる条件
- 強い日射×薄い空気:標高が上がると紫外線が増え、日射で体温が上がりやすい。
- 樹林帯の無風・高湿:放熱しづらく汗が蒸発しない。体感温度が上がる。
- ロング登りと背中の熱だまり:ザック背面で熱がこもり、冷却効率が低下。
- 前日の疲労・寝不足・空腹:体温調節機能と判断力が落ちる。
初期症状・重症化サイン(見逃さない)
- 初期:めまい、立ちくらみ、頭痛、悪心、倦怠感、筋けいれん(足がつる)、多汗。
- 中等度:判断力低下、ふらつき、吐き気、皮膚が熱いのに冷や汗が出ない、尿量減少・濃色化。
- 重症:意識障害、けいれん、歩行不能、40℃前後の高体温。すぐ冷却+救助要請が原則。
熱指数(WBGT)と標高の考え方
指標 | 目安 | 行動目安 |
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21〜25(注意) | 涼しい時間に行動 | 休憩増やし水分・電解質こまめに |
26〜28(警戒) | 体力に応じ短縮 | 30〜40分に1回休憩・日陰選択 |
29〜31(厳重警戒) | 日中行動を避ける | 早出早着・稜線長居× |
32〜(危険) | 原則中止 | 低山でも撤退判断 |
※山では風・日射・標高で体感が大きく変化。気温は標高100mで約0.6〜0.7℃低下が目安。 | | |
登山前にできる熱中症・脱水予防の準備
体調・睡眠・プレハイドレーション
- 前日は7〜8時間の睡眠。発熱・下痢・二日酔い時は計画変更。
- 出発2〜3時間前からコップ2杯程度の水+軽い塩分・糖質。カフェイン・アルコールは控えめに。
水分・電解質の持参量(目安と計算)
- 無雪期の一般登山:0.4〜0.8L/時(暑熱時は最大1L/時)。
- ナトリウム300〜700mg/時を目安に電解質を確保(ジェル・経口補水液・タブレット・梅干し等)。
- 汗量の簡易推定(自宅/低山で事前に):
- 行動前後で体重を量る(着衣・装備同じ)
- 途中で飲んだ量を足す/排尿量を引く
- 重量差(kg)≒発汗量(L) → 時間で割る=発汗L/時
- その70〜80%を補給量の上限に(過剰飲水を避ける)
ルート取り・時間設計
- 早出早着(日の出〜午前中に核心区間)。
- 樹林帯の日陰区間を活用、南向き直射の長い尾根は避ける。沢沿いは涼しいが増水・転倒に注意。
- エスケープ・山小屋・水場・日陰の**“避難ノード”**を地図にマーク。
ウェアと装備の最適化
- ベース:吸湿速乾(綿は避ける)。
- ミドル:通気フリースor薄手化繊。休憩用に軽量ダウンも。
- シェル:防風防水。ピットジップがあると放熱しやすい。
- 通気性の良い帽子・UVカットサングラス・アームカバー・ネックゲイター。
- ハイドレーション(1.5〜3L)+500mlボトル(電解質用)併用が便利。
- ザックは背面メッシュ/ベンチレーションタイプだと熱だまり軽減。
事前チェックリスト(出発60分前)
項目 | OK基準 |
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体調 | だるさ・頭痛なし、睡眠十分 |
飲食 | 水500ml+塩分/糖質を摂取済み |
荷物 | 水・電解質・行動食・冷却具・地図・ヘッデン |
ルート | 早出・短縮案・避難ノードを確認 |
連絡 | 登山計画を共有、連絡手段バッテリー満充電 |
登山中の熱中症・脱水症状を防ぐ実践テクニック
こまめな補給と行動食の選び方
- 20〜30分ごとに2〜3口:水+電解質。大量一気飲みはNG。
- 行動食は糖質+塩分(ジェル、塩せんべい、ナッツ+ドライフルーツ、梅干し、羊羹)。
- 味替えを準備(甘味/塩味/酸味)→食欲低下の予防。
ペース配分・休憩・クールダウン
- 心拍が上がり過ぎたら**“立ち休憩30秒”**で呼吸を整える。
- 40〜60分ごとに日陰で休憩5〜10分。靴を緩め、背面を風に当てる。
- 冷却ポイント:首筋・脇・鼠径部。濡れタオル・水かけ・携帯扇風機。
- 氷スラリー(氷入り飲料)や冷感タオルは体感温度を下げやすい。
体温コントロールのコツ
- 登り始めは1枚少なめ、汗が噴き出す前にジッパー開放。
- こまめに帽子を濡らす/ネックゲイターを湿らせる→蒸発冷却を促進。
- ザックのショルダー・ヒップベルトは指1本分ゆとりで血流を妨げない。
仲間とセルフチェック(合言葉)
- 「30分に一口・1時間に一息」(補給・休憩のリズム)。
- 顔色・発汗・会話の滑らかさを互いに観察。違和感があれば立ち止まって判断。
現場“即判断”フレーム(アルゴリズム)
- 症状?(めまい/吐き気/足つり/頭痛)→Yesなら2へ
- 場所替え(日陰・風通しへ移動、荷を下ろす)
- 冷却(衣服緩め・水かけ・冷却材)
- 補給(電解質+水を少量ずつ、氷スラリー可)
- 再評価(10分おき)→改善なければ下山/救助要請
万が一の熱中症・脱水症状への対処法
軽症(I度)への応急処置
- 安静:日陰・風通し・地面の冷えを使う(断熱シート+横たえ)。
- 冷却:頸部・腋窩・鼠径部に冷却材。濡れタオル→うちわ/扇風機で風を当てる。
- 補給:経口補水液や電解質ドリンクを少量ずつ。
中等度(II度)〜重症(III度)のサイン
- ぐったりして会話が成り立たない、歩けない、嘔吐が続く、汗が止まって皮膚が熱い、意識混濁・けいれん、体温高値。→冷却を最優先し、無理な歩行回避。119/警察/管理事務所に連絡。
救助要請の連絡テンプレ
- 場所:山域名/コース名/標高・地形(尾根・沢・分岐)
- 状況:症状・発症時刻・意識レベル・歩行可否・体温(測れれば)
- 人数:要救助者数・同行者数・年齢層
- 対処:実施済みの冷却/補給/安静
- 目印:色の派手なレイン・ライト点滅
よくある勘違い(神話と真実)
神話 | 実際 |
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水は多いほど良い | 水だけ大量は低Na血症のリスク。電解質も一緒に。 |
汗はかかないほうが良い | 体温調節に汗は必要。汗を乾かす装備と行動が重要。 |
風があるから安全 | 熱波・強日射では風があっても体温上昇に注意。 |
脱水だけじゃない:低ナトリウム血症(“水中毒”)を避ける
- 兆候:頭痛、吐き気、むくみ、倦怠、意識低下。水のみ過剰摂取で発生。
- 予防:水と一緒にナトリウム300〜700mg/時を目安に。汗がしょっぱい人・白い塩跡ができる人は高めに。
- 対処:症状が出たら飲水を控え、電解質の摂取へ切替。悪化する場合は行動中止・下山。
具体例で学ぶ:ケーススタディ
例1:樹林帯の蒸し暑さで頭痛
- 状況:標高差800mの登り中、風弱く高湿。頭痛と吐き気。
- 対処:ザックを下ろし日陰で横臥→頸部・腋窩冷却→経口補水液150mlを5分おきに→30分で回復。行程短縮し下山。
例2:稜線直射+強風で汗が乾きすぎ、脚攣り
- 状況:発汗実感が薄く水だけ摂取。大腿が攣る。
- 対処:塩タブ+ジェルでNa補給、ストレッチ、下りはストック活用→痙攣消失。以後Na摂取を時給400mgに修正。
例3:長時間の下りでふらつき
- 状況:水が尽き集中力低下。午後の気温上昇。
- 対処:同行者から分けてもらい補給→日陰で15分のマイクロナップ→最寄りエスケープへ退避。
下山後のリカバリー:翌日に疲れを残さない
- 補給:水+電解質を体重1kgあたり20〜30ml目安で。糖質+たんぱく(カカオ、ヨーグルト、豆乳など)。
- 冷却/入浴:軽いシャワー→ぬるめの入浴で副交感優位に。
- 睡眠:就寝前の酒量は控えめ。夜間のトイレで脱水を進めない。
便利ツールと“熱さえぎり”装備カタログ(例)
カテゴリ | 例 | 使いどころ |
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冷却 | ネッククーラー、保冷剤、冷感タオル | 首・脇・鼠径部の局所冷却 |
給水 | ソフトフラスク、吸い口付きボトル | こまめな一口補給を楽に |
日射 | 広いつば帽、サンシェード、偏光サングラス | 直射・照り返し対策 |
収納 | 胸ポケット付ベスト、ベルトポーチ | 電解質・ジェルを即取り出し |
早見表:熱中症・脱水・低Naの見分けと初動
症状/所見 | 熱中症寄り | 脱水寄り | 低Na血症寄り |
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体温 | 高い/皮膚熱い | やや高い | 正常〜やや低いことも |
汗 | 出ない/粘る | 多い | 多い or 普通 |
尿 | 少ない/濃い | 少ない/濃い | 普通〜多い/薄いことも |
主訴 | 頭痛/吐き気/ふらつき | 喉渇き/足攣り/倦怠 | 頭痛/むくみ/混乱 |
初動 | 冷却最優先 | 水+電解質少量ずつ | 飲水抑制+電解質 |
まとめ:安全・快適な登山のために熱中症・脱水対策を徹底しよう!
登山は、心身の健康やストレス解消に効果的なアクティビティです。しかし、夏や高温・多湿の環境では熱中症・脱水・低ナトリウム血症の三位一体リスクが潜みます。水・電解質・糖質の計画的な摂取、吸湿速乾のウェアリング、早出早着のルート設計、冷却と補給のタイミング、そして**“違和感が出たら止まる”勇気**——これらが安全登山の土台です。万が一に備えた応急処置と通報テンプレも頭に入れておきましょう。
最後に:持病のある方、妊娠中・服薬中の方、子ども・高齢者は事前に医療者へ相談を。知識と備えで「命を守る登山」を実践し、熱さの季節も賢く、快適に、そして誇らしく山を楽しんでください。